特別支援は「特別」って名前だから「特別」のままなんじゃ?と思う話

漢字が苦手なコースケは、通常学級の授業を受けています。

こんにちは、あさこです。コースケの小学校には特別支援学級がありますが、主に情緒面の特性がある子のためのクラスのようで、読み書きの苦手に対する支援はしていないそうです。コースケは、3年生になってから精神的に少し落ち着いたので(字がかけるかどうかは別として…)通常学級のままで良かったのかも…と、私自身が思っていることに、自ら疑問が湧いたので、今日は「特別支援学級」の世間の認識について思うことを書いてみたいと思います。

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特別支援教育とは…

ここ10年くらい、急に「特別支援学級」という名前が世間に知られるようになりましたよね。そもそも、特別支援学級とは、特別支援教育とはなんぞや?ということで文部科学省のホームページを見てみました。それによると…

「特別支援教育」とは、障害のある幼児児童生徒の自立や社会参加に向けた主体的な取組を支援するという視点に立ち、幼児児童生徒一人一人の教育的ニーズを把握し、その持てる力を高め、生活や学習上の困難を改善又は克服するため、適切な指導及び必要な支援を行うものです。

引用:文部科学省ホームページ 特別支援教育について
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/tokubetu/main.htm

ということなんですね。でも現状、「持てる力を高め」の部分が実践されているのか、若干の疑問が…。もしかしたら当人達には実感があるのかもしれませんが、周囲はそういう認識でしょうか…。

ほとんどの親は「特別支援」にネガティブな印象を持っている

コースケが1年生の時の担任の先生は、盲学校から赴任してきた方だったこともあるのか、私が特別支援学級について尋ねた時に「集団生活にはちょっと馴染みにくいんですが、お勉強はすごくできる子が多いんですよ。」と、決して彼らを下げることなく話していました。まぁ、、当時は、その時点で「読み書きが出来ない=勉強全部が出来ない」という扱いになりつつあるコースケが行く場所ではない、という意味で捉えたので、私はさらに凹んだのですが。笑 この一言で私は「特別支援学級=できない子」とは思い込まずにすんだのです。

でも、とあるお母様が「クラスで授業中にわめいたり、じっとしていられなかったりするようで、担任から特別支援学級をすすめられてしまった…」目を潤ませていたとか。

また、別の子は、特別支援を学校から打診されて、「うちの子が問題児だっていうのか」お父様がキレて学校ともめたとか。

あと、これはネットで見たのですが、授業中に立ち歩く子についてほかの親から「サッサと特別支援学級にうつせ」という要望があったとか。

全部マイナス。「特別支援学級=ネガティブ」ですよね。

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親を襲う「普通」からはみ出る恐怖

「特別支援学級」って、「特別」に「支援」しないと「普通の子たちと一緒に生活できない」みたいなイメージがありませんか?私たち、今の親世代、ジジババ世代って「みんなと一緒」「最低でも普通」という意識が強かった世代ですよね。だから我が子が「特別」に「支援」される存在になることは、どこか落ちぶれてしまったような感覚になると思うのです。特にこれまでわが子の発達に問題がないと思って過ごしてきた親御さんの葛藤はよほどのものだと思います。

でも、本当に「生命を維持すること」に特別な支援が必要なお子さんもいるとは思いますが、一方で、上記のようにそれまで親も気づかなかったくらいの子達は、第三者が設定した「普通」の枠がなければ日常生活は支障なく送れるのではないかと思うんですね。だから私が思っているのは「そもそも大多数の子たちが出来ることが出来ないって、そんなにダメ?」「彼らはそのままじゃダメ?」ということです。

特別支援について「個性を認め合いながら、尊重し、彼らの生活しやすいように支援する」みたいな言い方が多いですが、これって結局は「キミの個性はわかった。いわゆる普通に生活するために君に何が足りないのか教えるから、普通からはみ出さないように頑張ろうね」というイメージが強いです。これって個性を尊重していることになるのでしょうか。(※あくまでも私個人が思う世間の認識の話です。特別支援学級の先生のやり方を非難しているわけではありません。)

そして、そのカリキュラムを「特別支援」と呼ぶから、周囲は彼らを「特別」だと認識してしまうのではないでしょうか。

 

教えてほしいのは「普通」になる方法ではない

「そのまま」と言っても、犯罪はもちろんダメなので社会のルールを知ることは必要ですし、他人への迷惑を最小限に抑える方法も本人のために知っておいた方が良いです。でも「普通」に合わせるのは最小限、最低限で良いのではないかと。

コースケの例でも、本人が泣くほど「書く」ことを嫌がり、実際に他人が読めるような字を書けないわけなので、「書けるようになる方法」は最低限でよくて、「ペンで文字を書かなくても生活できる方法がある」ことや、「書けなくたってバカにされるようなことでも悪いことでもない」ってそっちを本人に教えてほしいわけです。…特別支援学級に行ってないからそもそも無理なんですけどね。我が家は。

いくら親が本人に伝えても、学校や周囲がそういう風に扱ってくれなければ、小さな心が折れてしまう子もたくさんいると思うんですね。

「視覚優位クラス」とかだったらここまで抵抗ある?

とは言いつつも、私自身「コースケ君を特別支援学級に」と言われたら二つ返事で「お願いします!」と答えられるかと言われると自信はありません。

で、前置き長くやっと今日のメインなのですが、日本語って本当に面白いもので、

仮に「コースケ君は、視覚の情報から学習すると覚えやすい特性のようなので、来月から『視覚優位クラス』に移るのはいかがでしょう?」と、先生から提案があったらどうでしょうか。

きっと私は「なになに?なにかいいことあるの?コースケがもっと楽しく勉強できるならぜひ~!」ってなると思うんですよね。笑

そして、周囲からも「え~お前、視覚が優位なの~?」本人も「うん、そーなんだぁ~」くらいにしかならないと思うのです。

ほかにも彼らが彼らのまま生活できる「聴覚優位クラス」とか「ハイパー集中力クラス」とか「超マイペースクラス」とか…全然ネーミングセンスが無いですが、もっとポジティブで軽いノリの名前にしてくれたら、彼らの存在はもっと違うものになり、通常学級から離れることに対する親の抵抗も減ると思うのです。

なんでも「言い方ひとつ」「言われ方ひとつ」

というわけで、「特別」と呼んでいる以上、特別じゃなくなる日はこないのでは?と思っている話でした。きっと彼らが特別じゃなくなるには、学校教育のシステムを根底から変えないと無理でしょうね。

特性っていわゆる「普通」の子達にも少なからずあるはずなので、いっそのこと、就学前に全員発達検査を受けて、それぞれの特性に合わせたクラスに振り分けて、それぞれに合わせたカリキュラムが最初からあれば良いのに、とかモヤモヤと考えております。

子供の悪いところ、出来ないところを指摘されるのは、ツラいですが、発達検査の結果から親も気づいていない優位な部分を教えてもらえて、さらにそれが伸ばせそうな環境に入れてくれるのは、親も前向きな気持ちで受け入れられます。本当に「言い方ひとつ」ですよね。

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