漢字が苦手なコースケは、1週間後に読み書き障害の検査結果を聞きに行きます。
こんにちは、あさこです。
早いもので3回に分かれて通った専門医療機関の検査から1ヶ月。ついに来週、コースケと二人でその検査結果を聞きに行きます。
今回は、その検査結果を聞きに行くにあたり、コースケ本人と、私の心の葛藤をここに記しておきたいと思います。
ドロドログダグダしますが、良かったらお付き合いください。
本人は「なにも見つからないと良い」と思っている
ふとしたきっかけで、コースケ本人と検査結果を聞きに行くことに関して話をすることができました。
結論を言えば、コースケはやはり「何か見つかったらどうしよう…」と、診断が付かないことを望んでいるようです。
そりゃそうですよね。何か分からないもの、ってやはり怖いですし「人と違う」ということ、他の子が難なく出来ることを自分は出来ないのだと受け入れるのは簡単なことではありません。
大人でもそうなんだから、子供なら尚更かなと思います。
「診断がつかない」ことの意味はわかっていなかった
しかし、「なにも見つからない方が良いと思っているの?もし何も無いって言われたらそれ、どういうことか分かっている?」と聞くと、黙ったまま頭の周辺に「?」がたくさん飛んでいました(笑)
「『漢字が出来ないのは頑張りが足りないからだね。もっと頑張りましょう』ってことだよ。」と伝えると
「…え?」と、彼の表情が少し曇りました。
そこから
と改めて伝え、どう受け取ったかはわかりませんが、私がコースケを病院に連れて行った理由は伝わったかなと思います。
私は「診断がつかなかったらどうしよう」と思っている
さて、問題はワタクシのほうです。
正直にいうと、私は「診断がつかなかったらどうしよう」=「診断がついてほしい」と思っています。
さらに欲を出せば「黒に近いグレーではなく、グレーに近い黒だったらいいのに」とも、思っています。
「読み書き障害じゃなくて良かった。じゃあ、頑張ろう」の時期は過ぎた
我が子に発達障害の診断を望むなんて、親としてどうなのだ、と自分でも思います。
もし、これが小学校2年生の夏くらいなら、診断がつかなかったとしても、私は頑張れたかもしれませんし、本人にもポジティブに伝えられたかもしれません。
でも、ハッキリ言って、もう、そんな時期は過ぎました。
一年生の頃は毎日音読書き取りの度に荒れ狂うコースケにノイローゼ寸前になり、
二年生では半年待ちでWISK-IVを受けてもなんのサポートにもつながらず、専門機関の受診も断られ(当時)、一年と少しリタリコジュニアにも通い、家でもあーだこーだと試し。。
3年半、思いつくことはやってきました。
それでも、やはりコースケは漢字が覚えられないし、未だに促音(小さい「つ」)も完ぺきではありません。
これでもし、診断結果がただの努力不足だという判断なら…完全にお手上げ。これからどうすれば良いのか分かりません。
どこにいっても「グレー」と言われてきたコースケ
そんな状態なら、当然診断がつくでしょう?と思われるかもしれませんが、それでもやはり診断に関しては全くの未知数で確信はありません。
と、いうのは、コースケはいつも「グレーゾーン」として扱われてきたからです。
学校でも、リタリコジュニアでも、
「出来ない子はもっと、本当に出来ないので…」
「苦手は苦手なんでしょうけれど、診断がつくかどうかは怪しいライン」
と言われました。
「普通に出来る範囲」ってあると思う
コースケは、性格がヘタレで、苦手を克服しようという根性や行動も少なく、それでいて本人は「自分なりに頑張っているつもり」ということで、夫やコースケの祖父は「コースケは努力をしていない」と言いました。
確かに、努力は足りないかもしれません。
でも私は、
努力が足りなくても、苦手でも、知能が普通の範囲内なら「自然に覚えられる・できる範囲」があると思うんです。
これは普通?それをただの努力不足だと言われたら…お先真っ暗です。
診断…聞きたいけれど、怖い
診断がついたからといって、おそらく何かが劇的に改善されるなんてことはなく、もしかしたら、コースケ本人にはもっと厳しい環境が待っているかもしれない、ということは分かっています。
でも、それでも診断に辿り着いたら一歩前進するし、なによりもコースケが書けない、覚えられない理由を私は知りたい…。
だからもし、診断がつかなかったら…
お先真っ暗、私は逆にそっちの方が泣いてしまうかもしれない、だけどそれはそれで一歩前進ではある。
でも…すぐにそんな風に切り替えて、受け入れることができるだろうか…。
診断がついてもこの先に待ち受ける未知のモノ、診断がつかなかったなら、その時に湧き出る自分の感情、想像するといろいろ怖い、怖いけれどもう待った無し…。
「その日」は目前に迫っています。